文昌市重興鎮

(旧、文昌県重興郷)
             排田村 昌文村 白石嶺村 賜第村

       

 1941年4月12日(農暦3月16日)夕刻、20戸あまり100人足らずの排田村に、日本海軍佐世保第8特別陸戦隊に所属する 日本軍部隊が来た。
 日本軍は、村はずれの尖嶺園に村人を集め、暗くなってから焼き殺した。逃げようとした人は射殺された。  こどもをふくむ88人が殺された。
 翌4月13日(農 暦3月17日)、日本軍は、隣りの白石嶺村に侵入し、村人40人を殺した。
 さらにその翌日4月14日(農暦3月18日)、朝日がのぼってまもなく、軍用車にのって40人ほどの日本兵が、  白石嶺村の隣りの昌文村を包囲した。
 日本兵は、村人を銃でおどして「祠堂」におしこめ、まわりを焚き木で囲み、  石油をまいて、火をつけた。このとき、人口130人あまりの村の107人が殺された。病気で寝ていた老人や赤ん坊までが焼き殺された。
 さらにこの日、日本軍は、昌文村の隣りの賜第村で村人16人を殺した。  隣り合った4つの村で、3日の間に、日本軍は241人を殺した。  その20日ほど前、村の近くの軍用道路で、日本軍の車両が攻撃されて、日本兵が3人死んでいた。



排田村

排田村の墓碑(「血海深仇永世不忘」)
1963年農歴3月16日建立
排田村の墓碑裏面
「倭乱遇難枯骨之墓」ということばとともに、
犠牲者88人の名がすべて刻まれている
李昌光さん(1937年生)
9歳と6歳の兄が殺された  
   

昌文村

昌文村の墓と墓碑
日本軍がいなくなってから、生き残った村人が遺骨を拾い、墓をつくった
墓碑裏面
犠牲者107人全員の名が刻まれている
李重発さん(1936年生)
李重発さんは、日本軍の姿をみるとすぐに逃げて生き残ったが、 虐殺現場の「祠堂」の跡に近づくのがいまでもつらい、という。
 
   

白石嶺村

白石嶺村
白石嶺村の墓と墓碑 1957年5月20日建立
虐殺された日が刻まれている
白石嶺村の墓碑
立っているのは、祖父母を殺された林方徳さん
 
             
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